母親が勝手に出ていくのは「徘徊」ではなく「無断外出」だった!

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おはよう❣ 朝だよ と声をかけると、「もう帰るの?」 どこに? 「私は霧島の家に帰る‼」
朝から晩まで、家内も私もこの霧島帰る問答にちょっと疲れ気味

昨日、玄関でガタガタ音がするので行くと、お母ちゃんがジャンパー着て、外に出ようと必死にカギを開けようとしていた。
どこに行くの? と聞くと、「大作の小学校の庭に桜が咲いているはずだから観に行く」と。
朝の学習療法での話材にあった「桜が咲いた」で、息子が通ったあの小学校の桜を見に行こうとしようとしていたのだ。

家内はかなりの方向音痴でよく道を間違う。でも、本人も私も「徘徊してる」とは言わない
本人には目的地があるのだろうが、勝手に出ていくから、これは「無断外出」だと思った

「もう少ししたら近所の公園の桜が咲くから観に行こうね」と部屋に連れていったら、すでにさっきの話は忘れている

記憶の時間軸がずれているから、目の前の大きな爺さんも息子、桜の校庭で遊んでいる小さな子どもも息子の大作なのだろう
これほど帰りたがっている故郷の霧島に行くと、頭の中の景色と目の前の風景が違うので、「ここは霧島じゃない」と絶対怒ると思う


母親の記憶にある「大作の小学校」ですが、私にとってもキュンとなる思い出の小学校です

大作の私は年中(5歳)のときから姉と1里半の道を歩いて、ふもとにある牧園町持松小学校に通っていました。
おおらかというか、山奥の田舎ですので、幼稚園などなく、姉や兄が通う小学校に入学前の弟妹がついていくのは当たり前の風景でした

私にも机をあてがわれ、一番後ろで姉の授業を聞いている。早期教育そのものですね。
家には本らしきものは無いので、姉の教科書が愛読書です。
入学して新しい教科書をもらうと、数日のうちに全部覚えてしまいまいます。
姉の本もまもなく覚えてしまいました。

自学自習で、飛び級というか、学年を超えた学習をしていたのです
あの時代に村に公文式の教室があれば私は別に人生を歩んでいた可能性はありますw
でも会費を払うお金がない貧しい農家だったので通えないか…
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